でも、明るくかわいいゆうりちゃんのおかあさんが羨ましい。
帰り道、ゆうりちゃんは「わからはらへんようになっててよかったわ。もう恨みつらみも言わず聞かずに話ができたし、娘さんは?って聞いたら仕事に行ってますねん。て笑ってたよ」とニコニコ。
さよならをすると、母はプイと横を向き、ゆうりちゃんのお母さんは「また来てちょうだいね、お茶も出さずにごめんね」と大きく手を振って見送ってくれる。
どうせ壊れるなら、かわいいおばあさんになりたい。と切に思う。
いやそうじゃない,友達を見かけたら、ヤッホー!と全力疾走を50mくらいはできてたころまで。
こんな風に考えてた。
《65才になったら、晴観雨読で、のんびり暮らしてる。
子どもも独立し、夫婦2人の年金でなんとか暮らせる。いっぱいいた友達もそこそこええ具合に減って(笑)1人の時間が増えて。
親も見送り、大きな病気もなく、仕事もリタイアして。
嫁入り道具のミシンで、まわりのひとのちょっと工夫した普段着を縫って。
時々は観音さんから飯盛へ登ったり,あてもなく街を散歩したり。
シルバー料金を使って映画館に行ったり、府民半額割や生協の安いチケットを買って,歌舞伎や文楽や落語に出かけたり。
手話の勉強もそこそこして、スイミングできちんと泳法を習ったり、ヨガやおばさん健康体操に通ったり。
時々はおやこ劇場の事務所にお掃除のお手伝いに行ったり、これは好きだわ!な例会にだけ出かけたり。
美術館や博物館にも行って、ゆっくりいろんな作品を見たり、ジャズやブルースの推しのアーティストのライブに行ったり。
上等のやふつうのソフトクリーム食べたり、お出かけついでにラーメン食べたり。≫
と、ほぼほぼこれはアリ!な妄想してたのだけど。
いざ65才になったら〜
ここんとこのコロナ騒動となかなかフェードアウトできない仕事や活動に、あいも変わらず忙殺されており。
その上、身体能力やアタマの方はトシ相応に落ちており。
なんか、帳尻合わないまま,忸怩たる思いで生きているワタシ。
それでも、幸せだと思うのだが、考えてたのとちょっと違う〜。
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だから、孫も可愛いけど生きろよ!がんばれ!と思っているらしい。
で、突然思い出した!
あんまり部屋を片付けない、きちんとあったものを元に戻せないが続き、怒り狂ったワタシは娘の部屋のドアをはずして晒したこと。
娘の部屋は玄関ドアを開けたらすぐなので、玄関からは丸見えなのに、である。
季節がどうだったのか?
寒さ?暑さ?をしのぐためかな、ドアのかわりにビニールシートをはったよ。
と話すと、「へ?ほんまに?私もそない言うてたよ、うちはドア外すまではいかへんかったけど。本気でやる人ワタシだけちゃうかったんやなー」と大笑いしてた。
ほんとに、ずっと本気出してたなぁ(笑)
おもちゃもゴミ捨て場に持って行って捨てた。そやのに、「なんであの時拾いに行かへんかったんや!」と後々娘に言うと、「捨てられたもん拾いに行っていいとは思わへんかった。あのことは絶対忘れへん。」と言う。
今なら、ちょっとわからんでもないけど、当時はその執着のなさ?にも母は怒ってた。
本気出してた母は、娘が20歳になった時「心の扶養」から外した。
ちょっとほっとした。
頑張って今からは一人で生きれるようにしてや!もう肝臓も腎臓も上げません!と思った母である。
あんなにきばらんでもよかったんかな?
とは思う。
思えば、ほめるところをよう見つけんかったんやろな。
ただ、生まれてきてくれてありがとうと思うより、なんとしても親より1日でいいから長く生きて。と思ってきたし、思っている。
生きてこそ。が一番の親孝行なのかもしれない。
ビニールシートばりの彼女の部屋を見て、水族館か?とも思ったけど。
母は、あまり饒舌ではなく、読書が趣味の内向的なインテリだったので、ちゃらんぽらんな父に似たワタシには少しけむたかったのかも?
もともと凛として、COOLな印象が強い人だ。
大きな声で泣いている姿も、大口開けて笑っている姿も記憶にない。
ただワタシには両親共に非常に愛されて大きくなった実感がある。
母にはワタシの人生の選択については、何も意見されたことはなくただ黙って見守ってくれていたような感覚。
おてんばで、うるさいくらいおしゃべりで、やんちゃだったワタシは、「うそみたい!上品で綺麗であんたのお母さんとは思えないね。」と友達に、小さいころからずっと意外そうに言われてきた。
その母が去年の秋から突然、失聴したのと転倒して自力で起き上がることができないという出来事以来急速に壊れはじめた。
具体的には、ずっと不平不満を言い続け。悪いのはみんなワタシか妹か、亡くなった父(笑)
そして、おはしの持ち方やペンの持ち方、椅子からの立ち上がり方、座り方など日常的な動作をことごとく忘れはじめた。
補聴器もメガネも身体機能が衰えているので、ほとんど効力がない。
コロナ禍の最中にあちこち駆けずり回り、やっと施設に入所できたことで、少しは落ち着いたかと一安心な日々だった。
だけど先日、入所以来3ヶ月ぶりに面会できたのに、ずっと声高に不平不満を言い続け、険しい表情のまま。
それでも、血色もよくだいぶふくよかになっている。
不平不満を言いつのるばかりかとおもえば、
自分がどれほど知的で、世間に貢献しているかと相手もないのにマウントをとりにかかる。
彼女は溢れるほどの理性で、内なる憎悪や人との差別化を抑え込んでいたのだろうか?
今や何も一人で出来ず、失聴しているから、周りの人達ともコミュニケーションが取れず、せまくて息苦しいハコの中に押し込まれているようだ。
このまま、ずっとこうなのかな?
前頭葉が壊れて性格が破綻しているんじゃなく、彼女の芯の部分が剥き出しになっただけなのか。
まぁ、生真面目でルールを守りながら実直に生きてきたのは違いない。
徐々に壊れつつあって、ここへきて突然急展開を迎えたのか、と母のここ15年の日記を読み返して、思う。
それでも、どこかでおもろうて、やがて悲しき…
それでも、事務所に行けばいつも誰かがいて、仕事を放り出しても、聞いてくれたり一緒に悩んでくれて…。
年末に母が施設に入所し、母の安全確保ができて一安心したとたん。
緊急事態宣言が出たので、ほかの2人は感染してはいけない立場や身体事情があるので、事務所の体制をワタシ1人での対応にした。
友達とゆっくりランチをしたり、芝居を見てからお茶したり、レイトショーの映画をみたり、スーパー銭湯でのんびり身体を温めたり、禁断の夜中のラーメンやマクドもぜ〜んぶ我慢の日々。
それでも黙って、安心安全な取り組みはないか?終わりの見えない日々を、ウイルスと共存することを念頭に過ごす。
ってなぁ〜。
ワタシはもうオババやねん!
したくないことはせず、したいことは次々せな、残り時間はないねん!
行きたい国、逢いたい人、したいこと、たくさん。
気持ちが萎えそうになる、心寒い冬。
自信のひとかけらも持てず…。
スマホが発達して、たくさんの人がスマホを使い出しても、パソコンを使って手伝いましょうか?と言ってくれる人はなかなか現れず。
それでも、少し前からからお手伝いしてくださる方がいて、ニュースや広報チラシなんかは楽になってきてた。
ただ、事務所でデータを見ながら検討したりはできず、文章校正やレイアウトの確認がメールのやりとりやLINEのやりとりでタイムラグがストレスだった。
まだまだ可能性があるはず。
コロナ禍の最中、トンネルに光がさした感じがした。
長かった孤独な闘い。
先日8か月ぶりの例会。
嵐のような日々がやってきたのは2月末。
前代未聞なカオスな毎日
気持ちは荒んで、疑心暗鬼の住む自分自身に嫌気がさす。
でも、あれやこれやと家族や仕事や劇場が待ったなしでコロナという怪物に巻き込まれていく中、正気を保つためには何をすればいいのか?
内なる自分と否応なく向き合う日々。
歳とった自分が逃げ腰で、及び腰なことに気づいて、本当に情けない。
それでも近隣の劇場に助けて貰って、やっとこぎつけた例会。
雨の中、お手伝いに続々と来てくださるみなさんにありがとう〜と思いつつ、あれもこれもの感染予防策に追われて、時々「あーいつもの例会みたいなワクワクが懐かしい」とチクリとトゲが胸を刺す。
ココンさんの作品は、間違いがない。
こんな人形劇みたことある?
大人も子どもも、知らぬ間に引き込まれる不思議世界。
少しの毒と際立つエレガンスに秘められた、ギミック。
人形の仕掛けだけでなく作品自体の仕掛けに、子どもはグッとついていく。
その、迷いのないやわらかな海綿のような吸収力には目をみはる。
この作品こそは、親子が仲間がひっついて、体温を感じながらひしめくようにみたい。
2回公演の合間にみんなで見た虹。
「長い戦いになりそうなこのコロナ禍を乗りきる力」がワタシ達に残されているのか?
これが、普通じやないから。
早く幸せな暮らしを取り返したい。
コロナ禍をメリットに変えることなど絶対できない。
子どもたちに安心安全な例会を保証するために力を惜しまず、準備に注力したけれど、それでも何か足りなかったのでは?と不安が残る長い長い1日だった。