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土曜日、幼なじみのゆうりちゃんと山の上の施設へ。
秋からゆうりちゃんのおかあさんも同じ施設にお世話になってはる。
いろいろあって、「親子関係は来世の宿題やわ。」と言いながら、「顔だけでも見とこうかな。」と4年ぶりにお母さんの顔見に行くゆうりちゃん。
ワタシがチラッと見かけて「おばちゃんいはるよ、ショートステイかも知らんから、会われへんかったらごめんね。」とおばちゃんの写真を送ったら、「もう一生会わなくてもいいねん」と言ってたけど、ワタシが「とりあえず一回は会うとき!」とそそのかして一緒に行こう!となった。
5分の面会時間だけど、お母さんは見事にゆうりちゃんのことは忘れたはった。
けど、ゆうりちゃんを見て「どなたかなぁ、かわいい人やね〜、いいお洋服着たはるねぇ」とご機嫌だったそう。
ワタシのことも「ほら!お母さん!やすこやん!」と言ってくれるけど「いやぁ、カッコええ人やなぁ、どなたさん?」とニコニコ。
かいらしいおばあさんになってはって羨ましい。
2人が再会を果たしている間にワタシも母に会いに行く。
こちらは、相変わらず不平不満のオンパレード(笑)ただ、もっともらしく言うがやはりつじつまが合ってないのがおもしろい。
さて、2組の面会が滞りなく済んで、いざ帰ろうとしたら、母はまたぶつぶつ不満を言いながら、「まだまだ言うときたいことあるのに」と怒り顔。
ゆうりちゃんのおかあさんは終始ニコニコ。
どっちも壊れたはりますねん。
でも、明るくかわいいゆうりちゃんのおかあさんが羨ましい。
帰り道、ゆうりちゃんは「わからはらへんようになっててよかったわ。もう恨みつらみも言わず聞かずに話ができたし、娘さんは?って聞いたら仕事に行ってますねん。て笑ってたよ」とニコニコ。
さよならをすると、母はプイと横を向き、ゆうりちゃんのお母さんは「また来てちょうだいね、お茶も出さずにごめんね」と大きく手を振って見送ってくれる。
どうせ壊れるなら、かわいいおばあさんになりたい。と切に思う。
ふと、ネットのコラムで見つけた。
「人生で最も幸せな日」
長く生きてきて、これからもまだまだ幸せなことあるのだろうけど…。
今までの時間でいつが1番幸せだっただろう?とずっと考えている。
毎日楽しかった頃、毎日不安だった頃、苦しくてなかなか思い切れなかった頃、自分が行方不明になっていた頃。
あれこれ思うけど、いつのことも必ず誰かの顔が浮かぶ。
たくさんの顔。
もう後戻りはしたくないけど、ずっと長い間ふんわりと繋がっている人たちを思い浮かべるのは楽しい。
青空を向こうに見て、運動会の万国旗のようにたくさんの顔が並ぶのを想像している。
母が壊れた。
94歳だから、驚くほどのことではない。
ワタシは結婚して両親と暮らした時間より、ずっとワタシの家族と過ごしてきた方が長い。
母は、あまり饒舌ではなく、読書が趣味の内向的なインテリだったので、ちゃらんぽらんな父に似たワタシには少しけむたかったのかも?
もともと凛として、COOLな印象が強い人だ。
大きな声で泣いている姿も、大口開けて笑っている姿も記憶にない。
ただワタシには両親共に非常に愛されて大きくなった実感がある。
母にはワタシの人生の選択については、何も意見されたことはなくただ黙って見守ってくれていたような感覚。
おてんばで、うるさいくらいおしゃべりで、やんちゃだったワタシは、「うそみたい!上品で綺麗であんたのお母さんとは思えないね。」と友達に、小さいころからずっと意外そうに言われてきた。
その母が去年の秋から突然、失聴したのと転倒して自力で起き上がることができないという出来事以来急速に壊れはじめた。
具体的には、ずっと不平不満を言い続け。悪いのはみんなワタシか妹か、亡くなった父(笑)
そして、おはしの持ち方やペンの持ち方、椅子からの立ち上がり方、座り方など日常的な動作をことごとく忘れはじめた。
補聴器もメガネも身体機能が衰えているので、ほとんど効力がない。
コロナ禍の最中にあちこち駆けずり回り、やっと施設に入所できたことで、少しは落ち着いたかと一安心な日々だった。
だけど先日、入所以来3ヶ月ぶりに面会できたのに、ずっと声高に不平不満を言い続け、険しい表情のまま。
それでも、血色もよくだいぶふくよかになっている。
不平不満を言いつのるばかりかとおもえば、
自分がどれほど知的で、世間に貢献しているかと相手もないのにマウントをとりにかかる。
彼女は溢れるほどの理性で、内なる憎悪や人との差別化を抑え込んでいたのだろうか?
今や何も一人で出来ず、失聴しているから、周りの人達ともコミュニケーションが取れず、せまくて息苦しいハコの中に押し込まれているようだ。
このまま、ずっとこうなのかな?
前頭葉が壊れて性格が破綻しているんじゃなく、彼女の芯の部分が剥き出しになっただけなのか。
まぁ、生真面目でルールを守りながら実直に生きてきたのは違いない。
徐々に壊れつつあって、ここへきて突然急展開を迎えたのか、と母のここ15年の日記を読み返して、思う。
それでも、どこかでおもろうて、やがて悲しき…
今日は夏の自主活動「天神さんで陸渡御みようぜ!」
大人ばっかりの参加だったが、陸渡御の行列を見てきた。
蒸し暑い曇り空だったが、催太鼓の願人(がんじ)の真っ赤な投げ頭巾が鮮やかで、勇壮な太鼓に続いて、様々な行列が続く。
天神橋筋の陸橋から、行列を眺める。
小さな蛇の目傘を回しながら笛や太鼓に合わせ踊る女の子達。
獅子舞やだんじり、お神輿や御鳳輦
時間の都合で最後まで見られなかったけど、随分楽しい行列。
帰りに本殿の脇のお迎え人形としじみの藤棚を見て帰る。
ほんの2時間のお祭り見物
船渡御と花火は毎年テレビでも流れるが、船に乗り込むまでの陸渡御はまた趣の違うお祭り行列。
今年の初詣は奈良へ。
お昼にひがしむき商店街で、松花堂。
三条通から、猿沢池を右に見て興福寺へ、千手観音さんと阿修羅像をみて、春日大社へ。
仏教美術資料センターの渋い建物を見つつ、飛び火野から本殿へ。
二の鳥居から本殿まで規制がかかり、なかなかたどり着かない。
ようやくお参りした後は、若草山のふもとを通って手向山八幡宮へ。
手前で、結構大きな鹿が、そお〜っと横に来た。
撫でていると、オットが「連れて帰るって言うなよ。」と、ちょっと離れたとこから怖そうに…。
そこから、二月堂へ。
西に向けてずっと街が見下ろせる。
美しい冬空。
修二会のお松明が駆け上がる美しい階段を下りて、大仏殿の東の塀沿いに進み、戒壇院へ。
二月堂からの眺めと大仏殿から戒壇院への美しい道が好きだ。
そこから、依水園、県庁前を通って帰途に。
ほんまはね、一人で来て、もっともっと寄り道しながら、ずんずん歩くの希望。
昨日の沿線会議後の交流会で、
昔の暮らしの話が出た。
はじめは昨日のケーキがドイツ風でおもっきりバタークリームだったこと。
ひぇ〜おいしいとは言いがたいけど、なつかしい!とワタシ世代が思い出話を始めた。
ワタシたちの世代のデコレーションケーキは全部バタークリームのデコレーションだった。
パルナスの歌も歌えた(笑)
何といっても給食の脱脂粉乳とパッサパッサのパンの話で大盛り上がり。
何人もの若い人たちがきょとんとしている。
ワタシが「脱脂粉乳の風呂に入れって言われたら何でもするから堪忍してもらう〜。」と言うと、
中くらいのKさんも「私も!」と挙手。
そうよね、なぜかランドセルの中が、パンくさいねん。
こっそり持って帰ったおいしくないパンのかけらがいつまでも入ってて。
とか、とり肉に羽根はえてたよ、ジャムが袋詰めだったよね、マーガリンも独特のにおいで…。
クジラ肉は噛み切れないんだ。いつ飲み込むかわからへんかった。
え〜給食結構おいしかったですぅ。という若い人たちをうらやましく思う。
あのさ、小さい頃はテレビもなかったんだよ!
でも、東京オリンピックの時にはテレビあったよね?
赤軍派のあさま山荘事件の時には一日中テレビ見ていた、中学生や高校生だったワタシ世代。
あ〜その年に私生まれたんです〜とにっこりHさん。
そんなこんなの異年齢交流。こんな話こどものPTAでもしないね。
1月2月の4回にわたる絵本読み聞かせにリンクした、インプロのワークショップが今日で終わり。
よく見てよく聞いてよく感じた日々。
絵本以外のツールはほとんどない。メモやノートも使えない。
身体と心を使いながら目も耳も口も脳も休みなく働かせる。
今日講師の言葉で響いたのは、
いい受けてしかいい送りてにはなれない。
いろんなものを、自分の感性でしっかり受けとめられる人は誰かに伝えることや、上手に演じたり読み聞かせをできる。という話。
例会作品を会員に送るお手伝いを劇場がしているんだな。
だとしたら、たくさんいい作品を送りだせるように、ワタシもいい受け手になろう。
仕事場のハードディスクにぶら下がってUSBと2晩も過ごした。
昨日家で、おやこのニュース作ろうかしらと探すも見当たらない。
データは別になくなってもいいけどさ。
かわいそうなことしたな。
昨日夜、生駒山の上にある大阪ウォータージャンプに見学に行く。
以前おやこ劇場の元会員のaiちゃんが滑るところを一回見たいなぁとお母さんに話したことを思い出したから。と誘ってくれた。
世界に一個しかないバースディケーキ。
美味しそうだけど、食べられないよ。
エッフェルがチョコなのがうれしい。