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なんとか総会は終わり。
1週間後には、久しぶりのアウェイの合同例会。
「よかった、無事で!」とあと5日くらいは言えないというこの2年半の環境下で、心も体も疲弊している。
そんな中で、予想外な楽しさの例会だったのでは?
下見に行った時「アタリやん❣️」と嬉しくなったコンサートでした。(ワタシプラネタリウム大好きなので←参加された人たちはおわかりですよね?)
それからは、いろんな機会に「とてもすてきだったよ、バネ大事やねん。ちゃんと楽器として成立している日用品だから、実際に体験しないとわかりませんから。」といつものワタシではないおすすめをしてきた。
アウェイの枚方市という会場の条件もあったのか、なかなか寂しい参加者数ではあったけど、東京からカッケルもはるばる来てくれた。
クイズ大会では3人も正解者を出すという、見たか?大東の音感ガールズ!
遠出もまた楽し。と思ってくださればいいのだけど。なかなか地元開催には及ばずそれでも楽しかったね!すごかったね!という声にほっとしたことでした
6月4日の自主活動は夕陽送りと蛍狩り
おとなばっかりやん!
でも、なんとなくシルエットがニコニコしてる。
気持ちのいい夕散歩
こないだ愚娘が話してくれた。
小さな頃からおやこ劇場の夏のキャンプに連れて行ってたこと。
毎回楽しかったけど、忘れられないのは初めての「きもだめし」だよ。
あーんなに怖くて、泣きべそかいて帰ってきたのに、無いんだもん!
おいしそうなご飯があると思ってたんだよ! きもだ「メシ」ってどんなに美味しいんだろ?何が入ってるんだろ?って楽しみにしてたのに、ほんとにがっかりしたわ。
と30年後に初めて聞いた、食いしん坊な娘ならではのお話。
昨日も自主活動に誰も来ないから〜とシャボン玉飛ばしたり、折り紙していた。
これは、ガニ股の鶴だって。
まぁまぁおもしろいヒトである。
こないだから、本棚の整理をしている。
この人の本は一時期ガンガンに読んでいた。
村上春樹の初めての単行本を暗い街の本屋の奥に見つけた時のように、この人の本も大きな本屋の棚でふと見つけた。
「彼のオートバイ彼女の島」運命の出会いのようで…。
ワタシも、オートバイに乗っていた頃もあったなぁ。
本棚からは背表紙が赤いこの人の文庫本がどっさり出てきた。
入院した時読む本(軽くて楽しくて食べ物が出てこない本)ともう忘れてしまっているけどもう一度読む本、再読したら捨てる本、覚えているけどもう読まずにすぐ捨てる本。
どんどん分けて山のように捨てる。
山ほどあるこの人の本たちは、もういいかな〜と思いながら捨てられなくて、通勤時に読み捨てることにする。
茶色く変色したいまの文庫本より少し小さめな文字たち
20代前半からのすごく楽しくて、でも戻りたくはない、あわただしくて悩んでばかりのワタシともう疲れたよ〜なおばあちゃんなワタシ
どちらもワタシ。
だが、今や残り時間は少ない。
この頃はお金持ちで、でも仕事や遊びに忙しくて、旅にも行けずに本ばかり買っていたなぁ。
再読してみたら、軽くてしゃれていて、すっきりした読み心地。
なんで、あんなに熱をあげてたんだろ??
ようわからんな。
土曜日、幼なじみのゆうりちゃんと山の上の施設へ。
秋からゆうりちゃんのおかあさんも同じ施設にお世話になってはる。
いろいろあって、「親子関係は来世の宿題やわ。」と言いながら、「顔だけでも見とこうかな。」と4年ぶりにお母さんの顔見に行くゆうりちゃん。
ワタシがチラッと見かけて「おばちゃんいはるよ、ショートステイかも知らんから、会われへんかったらごめんね。」とおばちゃんの写真を送ったら、「もう一生会わなくてもいいねん」と言ってたけど、ワタシが「とりあえず一回は会うとき!」とそそのかして一緒に行こう!となった。
5分の面会時間だけど、お母さんは見事にゆうりちゃんのことは忘れたはった。
けど、ゆうりちゃんを見て「どなたかなぁ、かわいい人やね〜、いいお洋服着たはるねぇ」とご機嫌だったそう。
ワタシのことも「ほら!お母さん!やすこやん!」と言ってくれるけど「いやぁ、カッコええ人やなぁ、どなたさん?」とニコニコ。
かいらしいおばあさんになってはって羨ましい。
2人が再会を果たしている間にワタシも母に会いに行く。
こちらは、相変わらず不平不満のオンパレード(笑)ただ、もっともらしく言うがやはりつじつまが合ってないのがおもしろい。
さて、2組の面会が滞りなく済んで、いざ帰ろうとしたら、母はまたぶつぶつ不満を言いながら、「まだまだ言うときたいことあるのに」と怒り顔。
ゆうりちゃんのおかあさんは終始ニコニコ。
どっちも壊れたはりますねん。
でも、明るくかわいいゆうりちゃんのおかあさんが羨ましい。
帰り道、ゆうりちゃんは「わからはらへんようになっててよかったわ。もう恨みつらみも言わず聞かずに話ができたし、娘さんは?って聞いたら仕事に行ってますねん。て笑ってたよ」とニコニコ。
さよならをすると、母はプイと横を向き、ゆうりちゃんのお母さんは「また来てちょうだいね、お茶も出さずにごめんね」と大きく手を振って見送ってくれる。
どうせ壊れるなら、かわいいおばあさんになりたい。と切に思う。
ふと、ネットのコラムで見つけた。
「人生で最も幸せな日」
長く生きてきて、これからもまだまだ幸せなことあるのだろうけど…。
今までの時間でいつが1番幸せだっただろう?とずっと考えている。
毎日楽しかった頃、毎日不安だった頃、苦しくてなかなか思い切れなかった頃、自分が行方不明になっていた頃。
あれこれ思うけど、いつのことも必ず誰かの顔が浮かぶ。
たくさんの顔。
もう後戻りはしたくないけど、ずっと長い間ふんわりと繋がっている人たちを思い浮かべるのは楽しい。
青空を向こうに見て、運動会の万国旗のようにたくさんの顔が並ぶのを想像している。
今年ワタシは65才になった。
ほんのついこないだまで、
いやそうじゃない,友達を見かけたら、ヤッホー!と全力疾走を50mくらいはできてたころまで。
こんな風に考えてた。
《65才になったら、晴観雨読で、のんびり暮らしてる。
子どもも独立し、夫婦2人の年金でなんとか暮らせる。いっぱいいた友達もそこそこええ具合に減って(笑)1人の時間が増えて。
親も見送り、大きな病気もなく、仕事もリタイアして。
嫁入り道具のミシンで、まわりのひとのちょっと工夫した普段着を縫って。
時々は観音さんから飯盛へ登ったり,あてもなく街を散歩したり。
シルバー料金を使って映画館に行ったり、府民半額割や生協の安いチケットを買って,歌舞伎や文楽や落語に出かけたり。
手話の勉強もそこそこして、スイミングできちんと泳法を習ったり、ヨガやおばさん健康体操に通ったり。
時々はおやこ劇場の事務所にお掃除のお手伝いに行ったり、これは好きだわ!な例会にだけ出かけたり。
美術館や博物館にも行って、ゆっくりいろんな作品を見たり、ジャズやブルースの推しのアーティストのライブに行ったり。
上等のやふつうのソフトクリーム食べたり、お出かけついでにラーメン食べたり。≫
と、ほぼほぼこれはアリ!な妄想してたのだけど。
いざ65才になったら〜
ここんとこのコロナ騒動となかなかフェードアウトできない仕事や活動に、あいも変わらず忙殺されており。
その上、身体能力やアタマの方はトシ相応に落ちており。
なんか、帳尻合わないまま,忸怩たる思いで生きているワタシ。
それでも、幸せだと思うのだが、考えてたのとちょっと違う〜。
私、娘の部屋の扉外したことあります。
私、娘の大事にしていたおもちゃほんとに目の前で捨てたことあります。
私、娘のたっかい勉強机捨てようとしたことあります。
昨日、若い友達と「子どもってさぁ、最終的には自分がよく考えて決めたことなら、お母さんは味方したる!」って、本気で言わないとバレるよな?
それが少々、いや、だいぶ親の望む子どもの姿と違っていてもやで。という話をした。
究極、ちゃんと五体満足で生まれてきたことが奇跡やと思うから、ちゃんとそれを使って生きろ!って思う。
あんなに怒ってるけど、どうせ言うだけやん。と思われたら終わり!と思って暮らしてた。
と言う彼女は、ほんの数日前に初孫が生まれたばかり。
だから、孫も可愛いけど生きろよ!がんばれ!と思っているらしい。
で、突然思い出した!
あんまり部屋を片付けない、きちんとあったものを元に戻せないが続き、怒り狂ったワタシは娘の部屋のドアをはずして晒したこと。
娘の部屋は玄関ドアを開けたらすぐなので、玄関からは丸見えなのに、である。
季節がどうだったのか?
寒さ?暑さ?をしのぐためかな、ドアのかわりにビニールシートをはったよ。
と話すと、「へ?ほんまに?私もそない言うてたよ、うちはドア外すまではいかへんかったけど。本気でやる人ワタシだけちゃうかったんやなー」と大笑いしてた。
ほんとに、ずっと本気出してたなぁ(笑)
おもちゃもゴミ捨て場に持って行って捨てた。そやのに、「なんであの時拾いに行かへんかったんや!」と後々娘に言うと、「捨てられたもん拾いに行っていいとは思わへんかった。あのことは絶対忘れへん。」と言う。
今なら、ちょっとわからんでもないけど、当時はその執着のなさ?にも母は怒ってた。
本気出してた母は、娘が20歳になった時「心の扶養」から外した。
ちょっとほっとした。
頑張って今からは一人で生きれるようにしてや!もう肝臓も腎臓も上げません!と思った母である。
あんなにきばらんでもよかったんかな?
とは思う。
思えば、ほめるところをよう見つけんかったんやろな。
ただ、生まれてきてくれてありがとうと思うより、なんとしても親より1日でいいから長く生きて。と思ってきたし、思っている。
生きてこそ。が一番の親孝行なのかもしれない。
ビニールシートばりの彼女の部屋を見て、水族館か?とも思ったけど。
母が壊れた。
94歳だから、驚くほどのことではない。
ワタシは結婚して両親と暮らした時間より、ずっとワタシの家族と過ごしてきた方が長い。
母は、あまり饒舌ではなく、読書が趣味の内向的なインテリだったので、ちゃらんぽらんな父に似たワタシには少しけむたかったのかも?
もともと凛として、COOLな印象が強い人だ。
大きな声で泣いている姿も、大口開けて笑っている姿も記憶にない。
ただワタシには両親共に非常に愛されて大きくなった実感がある。
母にはワタシの人生の選択については、何も意見されたことはなくただ黙って見守ってくれていたような感覚。
おてんばで、うるさいくらいおしゃべりで、やんちゃだったワタシは、「うそみたい!上品で綺麗であんたのお母さんとは思えないね。」と友達に、小さいころからずっと意外そうに言われてきた。
その母が去年の秋から突然、失聴したのと転倒して自力で起き上がることができないという出来事以来急速に壊れはじめた。
具体的には、ずっと不平不満を言い続け。悪いのはみんなワタシか妹か、亡くなった父(笑)
そして、おはしの持ち方やペンの持ち方、椅子からの立ち上がり方、座り方など日常的な動作をことごとく忘れはじめた。
補聴器もメガネも身体機能が衰えているので、ほとんど効力がない。
コロナ禍の最中にあちこち駆けずり回り、やっと施設に入所できたことで、少しは落ち着いたかと一安心な日々だった。
だけど先日、入所以来3ヶ月ぶりに面会できたのに、ずっと声高に不平不満を言い続け、険しい表情のまま。
それでも、血色もよくだいぶふくよかになっている。
不平不満を言いつのるばかりかとおもえば、
自分がどれほど知的で、世間に貢献しているかと相手もないのにマウントをとりにかかる。
彼女は溢れるほどの理性で、内なる憎悪や人との差別化を抑え込んでいたのだろうか?
今や何も一人で出来ず、失聴しているから、周りの人達ともコミュニケーションが取れず、せまくて息苦しいハコの中に押し込まれているようだ。
このまま、ずっとこうなのかな?
前頭葉が壊れて性格が破綻しているんじゃなく、彼女の芯の部分が剥き出しになっただけなのか。
まぁ、生真面目でルールを守りながら実直に生きてきたのは違いない。
徐々に壊れつつあって、ここへきて突然急展開を迎えたのか、と母のここ15年の日記を読み返して、思う。
それでも、どこかでおもろうて、やがて悲しき…
お正月はあっという間に過ぎて、もう2月。
劇場の事務所は緊急事態宣言を受けて、ほぼ1人体制で開く。
おしゃべりなワタシが、しんねりむっつり仕事してるのを、気遣ってたいてい誰かがのぞいてくれる。
それもお昼まで、とかお昼から、とか、一緒に帰りましょうと夕方に。
と、うまく密を避けて。
お知らせすることもあまり無く、例会に取り組みたいけど、「ほーらね?」の緊急事態は延長。見通しが立たない。
時を同じくして、母(94歳)が大きくコワれ、その介護や暮らしのことで多忙になり、仕事はまぁまぁだけれど、オフの時間が格段に減り、マルチタスク上等!のワタシはもうすでにいなくなっており。
ちょっとしたミスや、ポカが増え。
それでも、事務所に行けばいつも誰かがいて、仕事を放り出しても、聞いてくれたり一緒に悩んでくれて…。
年末に母が施設に入所し、母の安全確保ができて一安心したとたん。
緊急事態宣言が出たので、ほかの2人は感染してはいけない立場や身体事情があるので、事務所の体制をワタシ1人での対応にした。
友達とゆっくりランチをしたり、芝居を見てからお茶したり、レイトショーの映画をみたり、スーパー銭湯でのんびり身体を温めたり、禁断の夜中のラーメンやマクドもぜ〜んぶ我慢の日々。
それでも黙って、安心安全な取り組みはないか?終わりの見えない日々を、ウイルスと共存することを念頭に過ごす。
ってなぁ〜。
ワタシはもうオババやねん!
したくないことはせず、したいことは次々せな、残り時間はないねん!
行きたい国、逢いたい人、したいこと、たくさん。
気持ちが萎えそうになる、心寒い冬。